チーズカツレツとミルクスープ

チーズカツレツの素的やつを使って焼いた。これに合って、手間がかからなくて、新鮮味があって子どもたちにもウケるものは──と考えて、ミルクスープを作ってみた。あとはまあ数合わせでサツマイモのお焼き。キャベツがうまく切れた感じがあった。
一緒に食べられなかったが、あとで子どもに感想を聞くと、カツレツもミルクスープもとても美味しかったとのことである。
きのことほうれん草のミルクスープ野菜の人気レシピ・作り方 | 【味の素パーク】の料理・レシピサイト‐レシピ大百科 : しめじや牛乳を使った料理
チーズオムレツと牛すじ煮込みとサバ

買い物に行くのが面倒だったので、冷蔵庫の中身で適当に作ることにした。
主菜となるものは冷凍餃子でもと思ったが、なかったので冷凍のサバにした。冷凍の牛すじがあったので、ほうれん草といっしよにめんつゆで煮込んだ(というか、冷凍の牛すじは煮込まれているので、ほとんど温めただけ)。
魚も牛すじも子どもは食べないだろうから、何かもう一品子どもが食べるものをと思って、卵がひとパック使い切らないうちにもうひとパックあるので、「卵料理卵料理」と考えてチーズオムレツにした。どうせチーズ入れときゃなんでも喜ぶだろうという投げやりな選択である。
写真を撮る前にむすこがチーズオムレツに手をつけた。牛すじは子どもも手を出していたので意外だった。牛すじが何かよくわかっていないのだろう。でも確かにうまかった。これはあり。みそ汁は豆腐とわかめで、豆腐の賞味期限は切れている。あとふたパックあるのでさっさと使おう。
ふだん買い物を一切せず「ありあわせのもので」と料理することは、ほとんどないけど、まあこういうのもいいかも。というかもう自炊面倒くさいよ。寒いし。
ハンバーグとかぼちゃスープ

かぼちゃが余っているので、まずかぼちゃスープにすることを決める。そうなると、洋食で肉料理だなと思って、子ども受けのいいポークチャップにしようと豚肉のステーキ肉か、カツ用の肉を探すも、そのスーパーには無かったので、面倒くさいけどハンバーグを作ることにした。
野菜はかぼちゃスープで作れるし、もう一品だけでいいやとジャーマンポテトを作る。なんとなく食べたかった。
子どもも食べると思ったのに、かぼちゃスープは残された。敗北。
ナスとひき肉のボロネーゼ風パスタ

帰宅時間が遅いし、ゆっくり買い物する時間もないから、どうしようかとツイートしたら、いろいろ提案して教えてもらったうちの一つ。
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小2のむすめは辛いといってあまり食べなかったが、パスタは嫌だとむかつくことを言っていた小5のむすこは自分でおかわりして食べていた。
ナスが固くていまひとつだった。やはりラップに包んでレンジにかけてから炒めるべきか。もう一味欲しい感じ。パルミザンチーズがなかった。作りやすいところはよかった。
サーモンのクリーム煮

なにを作ればよいか、思いつかずに苦しむことがよくあるので、覚え書き的に自炊日記を再開してみる。
今日もなにを作るあてもなくスーパーに行った。あっさりしたものが食べたいが、焼き魚ではないなと思いながら、魚介のコーナーを見ていたら、サーモンのクリーム煮の素みたいなのを売っていたので、それにする。
野菜は冷蔵庫の中身で適当にそろえて、長いこと冷蔵庫に放置されている小籠包と、大根をサイコロ切りにしてコンソメスープを作った。
むすこはクリーム煮に箸もつけやがらず、むすめもクリーム部分しか食べなかった。
お腹いっぱいになっているのに今ひとつ満腹感がなかった。びみょう。冷やご飯、写りわるい。
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コンソメスープの大根をサイコロ切りにしていて思った。こういうスープの具はあまり物の野菜を使ってしまうためにあるようなもので、冷凍のミックスベジタブルを用意するのは本末転倒であるはずだ。便利なはずの冷凍食品が、持続的な自炊というプロセスそのものにもとり、結果的に人が料理を作って食べるという文化の破壊となっている場合があるのではないか。
サーモンのクリーム煮は、ドロっとした素がパックされていたけど、シチューの素の余りでいいのではと思った。サーモンの塩味が強すぎるのと、少し臭みが残っていたのが子どもたちには敬遠されたのかもしれない。最初にしっかり火を通してしまってもよかった。
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自炊が続けられるとはどういうことかと思って、記録をつけてみようと思ったのではないか。もっとも、その前に「日常の出来事について記録をつけることで、どのようなことがどこまで語ることができるか、という研究の方法論的な部分を肩肘はらずに考えてみたかった」というのもあった。読み直して分析すると見えてくるものもあるかもしれない。
2008年といえば「飯場の労働文化」がようやく書けるかどうかという頃だから、記録のつけ方と分析については、まだまだ手探りだった。

