玄米ごはん

うちには玄米がある。誰かがビレッジバンガードで「うちの玄米ごはん」という本を買って、ついでに玄米も買って、一年くらいほったらかしになっていた。


うちの玄米ごはん

せっかくだから、玄米を使って、この本も使うことにした。


本で紹介されているゴーヤーと煮干のチャーハンがおいしそうなので、昼食に作ってみようと思う。玄米の炊き方を知らないので、ネットで調べると、なんと玄米を炊くには浸けおきが数時間かかるという。しかも普通の炊飯器では炊けない。幸い、うちには炊き込みご飯用の土鍋がある。土鍋の取扱説明書に玄米の炊き方が載っていたはずだと見てみると、なんと浸けおきが6時間もかかるとある。昼食に玄米を使うのは断念した。


夕食用にいいレシピがないかと探してみる。小松菜とオクラを使った和え物がある。ちょうど小松菜もあるし、一品はこれに決める。メインはオムレツにした。あと一品悩んだが、ゴーヤがあるので、ゴーヤとピーマンのじゃこ炒めというのにした。足りない材料をメモする。


今回、ナンプラーを初めて買った。こうして未知の素材を使うとちょっと得意な気分になる。料理用に安いワインを買い足しておきたかったので、スーパー玉出に行く。玉出ナンプラーなんてあるのだろうかと思ったが、ちゃんとあった。使ったことないものなので勝手にマイナーな調味料なんじゃないかと決め付けていた。しかし、普通に中華料理の調味料のコーナーにあった。豆板醤も買った。


来客があったので、その前に下ごしらえを済ませておいた。下ごしらえをしながらレシピを見ていると、やたらごま油やナンプラーや黒こしょうを使ってあることに気づく。これじゃみんな似たような味になるじゃないか。また、レシピを探していたときにパラパラ見ていて気づいたのだが、玄米ごはんを謳った本なのに、別に玄米を使った料理が出てくるわけではない。しかも、白米を使った料理がかなり載っている。なんじゃこりゃ。


オムレツには「ナムプラー味の豚そぼろ」というのが入っている。ストックしておいていろいろ使えるということなので、ちょっと多めに作ったが明らかに作りすぎた。冷蔵庫で4、5日はもつとあるが、4、5日の間にこんな味の濃いそぼろを使い切らねばならないのか……。



基本的にエスニック料理のテイストらしかった。オムレツのケチャップには豆板醤が入っている。ピリッと辛い。


玄米はなるほどこれが玄米かという感じ。子どもの頃、母親に頼んで炊いてもらった玄米はもっと固くて食べにくかったように記憶しているのだが。いろももっと濃いイメージなんだけど。

  • 濃密な自炊の世界

昔、ネットがなかった頃は、一人暮らしを始めるときに母がくれた2冊の料理の本でレシピを探していた。ネットが使えるようになってからも、ネットでレシピを探すのは面倒だと感じてた。ネットでレシピを探すようになったのは、本当に最近のことだ。手持ちの本では限界だったからだ。


ネットがない頃は、本に頼るしかなかったわけだ。料理本の需要は高かっただろう。自分で料理していて、もっと面白い、いいレシピはないかと思う。持続的に作れば作るほどそう思う。だから、料理のレシピ情報は需要に応えて溢れている。ネットでレシピを調べていると、素人のオリジナルレシピが多く投稿されている。


僕にはレシピというとなんとなくゆるぎない完成品のイメージがあったが、こうして自炊を続けていると、レシピというのはとりあえずの完成品として誰かが提出しているものに過ぎないものなのだとわかった。既存のレシピに沿って経験を積んでいけば、アレンジしてアドリブで料理ができるようにもなるかもしれない。こういうものを使って、こういうふうに作るとこういう味になるという作り方と味と材料のストックが増えると、自分が食べたいと感じる味を作り出せるようになるのではないか……というふうに考えると、将来的に自分はものすごいスキルの持ち主になれるのではないかという期待感でにやりとしてしまう。


自炊にはこのような魅力がある。そして、レシピ情報の供給側も層が厚くなる。自炊の先は濃密な世界に繋がっていそうである。