昼逃げパート2

今日は昼逃げであった。前の昼逃げは去年の5月10日のことだった。


「明日大丈夫かな」と社長から電話が入ったのは昨日の夕方だった。「荷物の積み込みから、積み降ろしまで、ええ、やってもらうことになると思いますから。よろしくお願いします」というよくわからないことを、その時、社長は言っていた。引っ越しなら引っ越しで「明日は一日引っ越しで、遅くなるけどよろしく」とか言えばいいのにと思う。こういうよくわからないことを言っていたのはこれが単なる引っ越しでなく、社長の内面で、このような形態の引っ越しを特別視していることの反映であり、この特別視が社長の内面で整理し切れていない課題であることを表しているのだろう*1


朝マックを食べたら不味かった。マックってひょっとして不味いんだろうか。


「明日は朝8時ちょっと過ぎくらいに来て下さい」と言われていたので、8時ちょっと過ぎに顔を出した。大体、出発まで30分は事務所でたらたらする時間なので、きっと今日の出発は8時半より遅いということなんだろうなあと思いながら行った。


6月は30日しかバイトがなかった。そしてその次が今日だった。30日に行った時、事務所の模様替えをすると社長が言っていた。今日行くと、床には絨毯マットが敷き詰められ、社長のデスクと椅子は新しいものになり、整理棚が増えていた。デスクは前より大きいもののようで、デスクの上はすっきりして見えるが、事務所全体からすれば狭くなっている*2。一番変わったのは、なんと、事務所に入る時に靴を脱がなければならなくなったことだ。アルミサッシの引き戸を開けたところに、玄関マットが敷いてあり、マットを境界にして土足厳禁ゾーンが広がる*3。最初スリッパを履いたが、ハマヤラくんがスリッパを使わないのを見て、僕もスリッパを履くのをやめた。


引っ越し前の家と引っ越し先の確認を社長と主任が始める。引っ越し先の住所は、見積もり書ではなく、メモ用紙に書かれているものを主任に渡していた。「知られたらまずいものやから」と社長が言うのをきいて、ああまたDV被害者の引っ越しかなと思った。「警察官が立ち会ってくれる」というのをきいて確信を強めた*4


荷物の運び出しは、社長と主任、ハマヤラくんに、僕とホモヨロさんを加えたフルメンバーだ。運び出しが終わったら社長とホモヨロさんは別の現場にリサイクル品*5の引き取りにいき、引っ越し先に運び込むのは主任とハマヤラくんと僕の3人でやるのだという。


どういうことなのかわからないが、引っ越し前の家が2つある。片方は3階建てで、1階の半分が駐車場になっているというよくあるタイプの真新しい一軒家で、もう一方は2DKのマンションだった。一軒家の方では、洋服をいくらかと自転車だけを積むということで、「難しければ自転車だけでも積む」ということだった*6。最初この家のことを社長は「実家らしい」と言っていたが、どうも「自宅」であるようで、しかし、実際に依頼主の女性が暮らしている(いた)のはもう一方のマンションだったようだ。夫の暴力に耐えかねて既に別居状態にあったということなのか、事実関係は定かではない*7


表札を見て、ここだろうなという一軒家から少し離れた所に車を停めて待つ。車は2t車とライトバンで、荷物は軽トラ1車ぶんくらいだときいていた。その家の駐車スペースには大きなファミリータイプのワゴン車が停めてあった。遠目に見て40代くらいの男性が、家から出てきて、ワゴン車に荷物を積み出す。そのまま出かけるかな、と思ったらしばらく間があった。ひょっとしてあれが加害者である夫で、彼が出かけるのを依頼主さんは待っているのかと思ったら、そうだった。


待っている間、ハマヤラくんとホモヨロさんがヒソヒソ話す。彼らの間でしか聞き取れない音量で話す。多分、社長や会社に関することを話しているから小声なのだろうが、なんだか仲間はずれ気分で居心地が悪い*8


彼がワゴン車で出かけた後、半袖の開襟シャツに黒いスラックス、大柄で眼鏡をかけたスポーツ刈りの警察官とともに車に乗って、依頼主さんがやってきた。僕たちは30分くらい現場で待っていたんじゃないだろうか。


彼女の持つ鍵でドアを開ける。資材を運び込む。ハマヤラくんとホモヨロさんが3階で洋服を詰める。僕と社長は箱を作り、2人に手渡し、僕は2人から詰め終わった段ボールや衣装ケースを受け取り、1階まで運び、主任に手渡す。社長は一体何をやっていたのかよくわからないが、やたら焦って苛ついていて鬱陶しいなあという感じで、ハマヤラくんと「あいつ鬱陶しいな」と目線を交わした。


最初L寸の箱3箱くらいだという話だったはずだが、さらにM寸数箱あった。下駄箱からは、依頼主さんに訊きながら靴を段ボールに詰めた。「これも入れて下さい」「この箱も」という指定の中に、「これはちびのやから違う」という一言があって、その赤い草履をはくような女の子がいるのだということがわかった。当たり前のことだが、この家は、彼女と彼女の家族とが共に暮らしていた家だったということに気付く。2階には柵の中に犬がいた。大型のテレビがあって、キッチンテーブルがあった。


そうした生活感の中で荷物を出していると、こそ泥をしているような気分になる。帰って来た夫は間違いなく「やられた!」と憤るだろう*9。全部積み終えて、マンションへ移動する車中で、警察官がいてよかったと思った。しかし、これは万が一夫が帰って来てしまったときの身の安全のためというより、「こそ泥」感を払拭してくれる存在としてだった。


マンションの方では全ての荷物を持ち出した。冷蔵庫や洗濯機、水屋、ベッドなどもあった。社長はトラックの荷積みを担当していて、相変わらず焦って一人イライラしているようで、とても鬱陶しいなあと思った*10。これが、終わりに差し掛かると急に余裕が戻って来て、対応が柔らかくなるのだからあほくさい。上の人が落ち着いていてくれないと困るよなあと思う。


軽トラ1台分と言っていたが、最終的には軽く2t車いっぱいくらいになった。見積もり失敗している。


依頼主さんから鍵を預かり、社長たちと別れて、引っ越し先へ向かう。これがどことは言えないのである。


荷積みが終わってしまえばもう気楽なものだ*11


引っ越し先で荷物を運び込みながら、「段取りができれば仕事は9割終わったようなもの」というのは、やることとその順序がわかってしまえばあとは頭を悩ませず、楽しいこととかくだらないことを考えながら片付ければよいということなのかなあと考える。面倒なのは「終わり」の形態がはっきり見えず、不明瞭な部分を残したまま頭を悩ませなければならないことなのだろう。


最後に依頼主さんが寸志を下さった。主任が「自分ら2人でわけい」と言ってくれた。とても助かった。トラックの中、「社長だったら自分のポケットに入れとるな」「上に立つ人間がセコかったいかん」「金に関してセコすぎる」という話をする。もう何度も話しているのにこういう話を何度も繰り返すのはなぜなのだろうか。不満を冷却するためか。


逃げるっていうのは、作業的にも心理的にもなかなか複雑でしんどいものであるなあと思えた。何とか成功して、今夜はやれやれかもしれないが、依頼主さんはこれからもしばらくはこのしんどい作業を独りでやってかないといけないのだと思うと大変だなあと思うが、「大変だなあ」以上の感想がひねりだそうとしても出て来るわけではないのでこの記述はこの辺で終わりにしておく*12

*1:こういうややこしい言い方をしないと納得いかないのだから始末が悪い。

*2:ということを、ハマヤラくんも言っていた。

*3:ああ、この社長は新車を買ったら靴を脱いで乗車させる類いの人間なのだろうなあと思う。

*4:しかし、DV被害者の引っ越しであることは明示的には語られなかった。こういったケースがやはり「特殊例」として、一般的な整理をされないままでいることの証左であろうか。

*5:処分品だったか?

*6:今思えば、その「難しければ」というのは家に誰かいて、入れない場合はこっそり自転車だけ持ち出すということだったのあろう。「難しければ自転車だけでも積む」という言い方に妙な感じがしたのは、「こそ泥まがいのことをしなけらばならないかもしれな」かったからだったのだろう。

*7:つまり、われわれ引っ越し業者は、トップの社長ですら事実関係についてはっきりはわからないまま作業を敢行せねばならない状況に置かれていたようだ

*8:きっと2人にそういうつもりはないのだろうが、2人がとても仲良しに見えて、何か僕には親密になる要素が欠けているのだろうかと一人でうじうじしてしまうのだった(よくまあわざわざそこんなことまで書くものだ)。他にも、ホモヨロさんは現場が別々で、自分の方の仕事が終わったときなどはハマヤラくんの携帯に電話をかけてくる。わざわざ電話をかけて話すほどの用件にははためには思えない。この行為はいったいどういう意味を持っているのだろうか。そういえば、ホモヨロさんは、仕事終わりではないが、たまに僕にも電話をかけてくる。翌日の仕事に僕が呼ばれているかどうか、何人で作業するのか、どういう作業内容なのかという情報収集的な感じの強い電話だが、単なる世間話のために電話をしてくる感じもする。これはとても興味深い事例であるなあと思ったので注に長々と落としておく。

*9:彼が出かける所を見てしまっている分、リアルに感じられたのだろう。

*10:引っ越し先に向かうトラックの中で主任とハマヤラくんと「あの人は一人で焦って、周りが全然見えてないねん」と話した。

*11:社長がいないということが一番気楽だったりする。

*12:しかし、このパラグラフ自体、読み物としての流れのために、一応しめくくりが必要だと何となく感じたからくっつけただけかもしれない。一日の出来事というのは一話完結のストーリーにはそうそうなるものではないと思う。そこに「オチを付けなければならない」と考えるのは、データの蓄積という立場からは間違いで、データの提示という立場からは適切だろう。この「網羅的な日記」というやり方を確立しようと、たまに飯場以外のことも試しに記述するのだが、どうしても本筋から逸脱するエピソードが気になる。そして逸脱するエピソードをどう入れ込めばいいのかと悩む。注に落とすか、文脈が狂っても無理矢理押し込むかするのだが、これはデータの「蓄積なのか、提示なのか」という違いから生ずる問題なのだろう。何かを「物語る」と期待させるような体験の断片があり、その断片が寄り集まってストーリーを語り切ってしまうこともある。しかし、語り切るほどでないこともあるし、語り切らないことの方が当たり前であるように思う。結論を焦ってはいけない。一日の出来事の中に「物語」を喚起する断片はいくつもあり、その種類(ラベルを貼っていけばカテゴリーにもなるもの)もいくつかに分かれる場合がある。その種類のそれぞれについて、別々の物語が描かれうる。そうなると、「網羅的な日記」は実は不可能で、「いくつかの断片的な物語(の序章?)」を一日の出来事のバリエーションとしていくつか書くことが、「網羅的」ないくつかの「覚え書き」として可能になる。だとすれば、「日記」という整理の仕方のメリットとデメリットが見えてくる。デメリットは、既に述べたように、断片のいくつかをうまくフォローできないという所にある。ではメリットはなんだろう。おそらく、出来事と自分の感情とを関連づけながら記述していくという過程を触発するという点ではないかと僕は思う。これを唱えるには、僕はもっと「感情的に書く」ことの意義について考えねばなるまい。