インターミッション・「家事<仕事」

2009年6月12日のエントリーがブックマークされていて、コメントがつけられているのを発見した。次のようなコメントだ。


「食事作って掃除やら洗濯やら家事をやっていれば昼寝する程度の時間しか残らないのではないか」うーん、単身の社会人だって大抵は炊事・洗濯くらいは毎日やってるんじゃないの?家事が捌けずに仕事が捌けるか?


「」で囲われている部分は僕の記述で、この部分に対するコメントになっている。こう言われると「お前が無能なだけだろ」と言われているようでショックを受ける。ショックを受けたあとで、しかしまあそういうコメントが来る可能性は充分意識して書いたはずだよなとも思う。


「昼寝する程度の時間しか残らない」というのは実は多少大げさに書いたと思っている。専業で家事をやっている方が賃労働に就くよりは楽かもしれないなと思う部分はある。しかし、「働くより家事の方が楽だ」ということが「家事は気楽だ」ということにはならないと思う。「家事」と「仕事」をつなげて語ることで、家事の中身はあまり問われなくなっているような気がする。だから、家事の中身を強調するような書き方をした。


家事は仕事に比べれば簡単なことだという前提がある。「家事が捌けずに仕事が捌けるか?」というコメントはまさにこの前提に立っている。「仕事のできる人間は家事もできる」というふうに、絶対的な唯一の有能さを前提としていると言ったらいいのだろうか。まだ手探りでやりながら考えているだけなので思いつきに過ぎないのだが、家事をこなすということと仕事をこなすということは全然違うんじゃないかなあ。


「手元仕事は熟練を要さない仕事」だからといって、楽な仕事でもなければ、そうそう簡単な仕事でもない。一元的な物差しをあてて語ること自体が権力に無自覚であることではないかと思う。


あと、単身の社会人の家事と家族がいる場合の家事を同列に扱うのはおかしくないかなあ?


僕らの多くは「家事」が何なのか、わかっているようで全然わかっていないように思う。このことをうまく描き出すためにはまだまだ根拠が無い。批判されても仕方ない。批判されるようなことだから書いているはずなのに、いざコメントされているのを見るとドキッとする。インターネット怖っ。誰かに読まれるために書いているのに、読まれていたら読まれていたで緊張する。まったく小心者だ。

  • 追記

「専業で家事をやることは、言われているよりいいものではない」ということ?


相対的に「いい身分」かもしれないけど、思ったよりいいものか。