非常口のある部屋


社長が骨董品を売るために現場に来なかったので作業がさくさく進んだ。いつも来ないで欲しい。

現場は鶴橋だった。鶴橋本通商店街のアーケード沿いにあるビルなんだけど、これが変わっていて面白かった。カルチュラルハウジングはこうでなくてはいけない。

車体をこすりそうなくらい狭い路地をぐるぐる入っていった。建物の正面はアーケードに面していて、店舗スペースになっていた。右がブティックで、左は物産屋だったらしいが移転したらしく、下ろしたシャッターに張り紙がしてあった。

3階建てのビルで、店舗スペースの裏側に細い階段の入り口がある。普通のマンションだと思って入ったので違和感を覚えつつもこういう賃貸もあるんだなあと思った。

入り口の左手の壁にはハンドメイドらしき木製の棚が埋め込まれており、建築で使う道具があれこれ陳列されていた。小さな表札に「○○工務店」と書いてあった。右手には店舗スペースへ続くドアがある。最初はこの店舗スペースが工務店の店舗なのかと思っていた。

細い階段を上っていくと突き当たりにドアがあり、右に直角に曲がってまた階段が続く。曲がったところの右手にまたドアがあり、そのドアが今日の現場だった。ドアを開けたままにすると階段が完全に塞がってしまう。えらいこっちゃ。上の階の人や向かいの家の人が出てきたら面倒くさいなあと思った。

玄関を開けると正面が風呂、右手に階段に面して大きな窓がある。窓の外にはマンションの窓のような、鉄製の枠のような手すりがついている。この部屋の人は他の住人とこの窓越しに会話できるのだなあ趣があるなあと思った。

間取りは1DKだった。奥を向いて、右手にシンクとガスレンジ、左は階段のスロープの下のスペースに洗濯機置き場が設えられていた。そこに洗濯機はなく、古びた乾燥機が置いてあった。既に社長と主任が一度片付けに来ていたらしいので、リサイクル品はない。たぶん洗濯機もあったのだろう。乾燥機というのが僕の生活実感と合わない。どうして人は乾燥機を買うのだろう。部屋干しでも全然構わないじゃないか。

「○○工務店」の一人親方だったのだろう。押し入れや天袋には建築材や道具がごろごろしていたし、箪笥の中には軍足がたくさん入っていた。革製の釘入れは味があってかっこいい。見積書やら領収書やらもあった。主任は「(工務店といっても)何でも屋みたいなもんや」と言っていた。

こういうのを「一人親方」っていうのかと部屋を見て腑に落ちるもんがあった。会社なり親方の下で技術を身につけた者が独立し、営業から施行から経理まで全部やる。うまく言えないが、「働いて食べていく」というのはこういうことで、手に職つけてできるだけ合理的な稼ぎ方を模索するものなのだ。

それを考えると、うちの社長の商売もそういうものだ。社長は最近、ゴミ出しの部屋で宝探しばかりしてみんなに疎ましがられているが、鍋釜のアルミや銅、真鍮などのスクラップをかき集めたり、売れそうなものを見繕ったりして合理に稼ぐ。

人夫にしても、別にいなけりゃいないで構わないという考えでいるのかもしれないと思えた。社員を持たず、必要な時にだけ人夫を雇い、基本的には自分1人で仕事をする一人親方。社長をこれと同じものだと考えると、人が集められなくてせっかくの仕事依頼を断らなくてはならなかったとする。しかし、これはこれで別に構わないのだろう。今まで僕は、「どうしても人が足りなくて仕事を断らざるをえない」という事態をものすごい緊急事態のように考えていた。「信用失墜」→「仕事激減」→「倒産」みたいなストーリーを連想してしまっていた。

実際は、処理しきれない仕事はいつだって断るものだし、うまく人夫が集まるならいっちょ稼いでおくかというようなもんなのだろう。大体、社長の頭の中では、大切なのは家財処分という仕事の本来ではなく、どれだけ売れるものがあるかというそもそも余録であったはずのものの方になっている。

そして、まあ、それはそれで構わないと思った。僕たちはどうせ使い捨ての人夫なのだ。今までは、人が足らなければ会社として困るかなと思って、ちょっと無理をしてバイトを引き受けていたところがあった。義理人情に流されていた。しかし社長には義理も人情も別にないなあということがわかったので、もう「(何となく面倒くさいから)無理です」くらいの気持ちで断ろう*1

話がそれた。

社長がいないと本当に仕事がはかどる。13時収集だというのに10時半ごろには終わりかけていた。

家主が上の階にも捨てて欲しいものがあると言うので上の階に上がってみた。上の階は採光がよく、フローリングでこぎれいな印象を受けた。ベッドマットや水屋など、ポツポツっとものが残っている。ここは下の階の人の娘さんが住んでいた部屋なのだという。よく見るとフローリングだと見えた板張りの下から畳がのぞいていた。お父さんによる娘のためのリフォームなのだろう。

広さは同じようなものだが、間取りは2Kで、風呂がないぶん台所が広い。キッチンの端に屋上への階段の入り口がある(階段の登り口の端はトイレになっている)。

「もともと一軒家らしいで」と主任が言う。なるほど、そう考えた方がこの建物の構造は納得がいく。納得がいくのだが、ここでまた変なものが見つかる。

3階の部屋の中に入って振り返ると入り口の上に「非常口」という緑色に光るランプが付いている。

2階を見直すと2階の入り口の上にも「非常口」のランプがある。ここは、もともとはテナントビルだったんじゃないだろうか。これを裏づけるようなこのビルの変な作りが向かいの部屋のドアだと思ったものにあった。

3階の部屋の向かいにも同じようにドアがある。一軒家ならこの向こうにも普通に部屋がなければならない。しかし、2階と3階のこれらのドアの向こうにあったのはこちらと同じような階段だった。この建物は真ん中の壁を境に左右対称に出来上がっており、この真ん中の壁はドアを使って行き来できるのだ。これでは隣家に自由に出入りできてしまうではないか。

テナントビルと考えてもこの作りはおかしい。こんな変なドアを付ける必要はないし、ドアを付けるくらいなら壁を設ける必要がないのではないか。

変だ。すばらしく変だ。2階の窓からは商店街を見下ろせる。3階からはアーケードの屋根を見下ろせる。

さらに実は屋上もすばらしいのだ。右の方からも左の方からも屋上に行ける。屋上は、一応真ん中で、腰上くらいの高さの鉄柵で仕切られている(手前で開閉できるので乗り越えなくとも鍵を外せば行き来できる)。さて、すばらしいのはこれではない。すばらしいのは屋上の「別荘」である。

屋上に6畳間に押し入れが付いただけの部屋が増築されていた。夏は暑そうだし冬は寒そうだ。しかし、屋上に住んでいるというシチュエーションはなんか秘密っぽくてそそる。雨なんか降ったら鬱るだろうなあ(うっとり)。

すばらしいビルだった。他に言うことはない。

*1:しかし、ここには別の問題がある。まず、頻繁に断っていると呼ばれなくなるリスクがある。次に、繁忙期と閑暇期の差が激しいので繁忙期に入れるだけ入って貯金をしておかないと困るのはこちらである。うーむ、下層労働者だ。