ゆらぎの中のチョイノリ(あるいはゆらぎとしてのチョイノリ)


先日のモヤモヤの正体がわかった気がした。

バイク屋のあの反応は「やれやれ、またチョイノリのクレームかよ」というものだ。チョイノリバイク屋に嫌われている。クレームをはぐらかそうとすらする。いや、チョイノリというのはそもそも自転車代わり程度に乗るのが正しい乗り物だ。だから、バイク屋の言っていることは正しい。ここで問題なのはチョイノリが嫌われているということだ。自分の愛車に「なんかいわくつきの面倒くさい嫌なバイク」みたいな反応をされたら悲しいじゃないか。

チョイノリの居場所は何となくあるようで無い。チョイノリはゆらぎの中にある。チョイノリをめぐるポリティクスを生きなければならない。