2003年のフィールドノートを読んだ。いわゆる飯場日記だ。
自分でいうのもなんだが飯場日記は面白い。読んでいない人は読むべきだ。
飯場日記を読み直していて自分は最初こんなに仕事ができなかったのかと驚いた。今年の夏の時には働く分には僕は平均値くらいは満たしていたと思う。飯場日記では僕は戸惑ってばかりだった。「日雇いって何をやればいいの?」と困っていた。おどおどしていた。
「日雇い労働者になる」という章か節を一つ設けようと思った。今年の夏に見た日雇いなれしていない人との比較で「日雇い労働ができるようになる」とはどのような過程であるのか、「日雇い労働者になる」とはどのような理解を経て可能になるのかを書きたい。労働過程の分析の中に入れよう。飯場の生活だって、日雇い労働の労働から意味づけができるところがあるのだから。
日雇い労働者を評価する現場監督の目がある。それを意識しながら「明日も使ってもらえるように」がんばらなければならない。しかし、日雇いの仕事は「がんばりすぎてはいけない」という理解も必要なのだ。この相反する2つの命題を身につけることが日雇い労働者としてのスタートである。
であるとかいうと格好いい。