トマト料理と大掃除

 木曜日は5限にゼミがあるので遅くなる日。


 家に帰ったら、今日休みだったつまは部屋の掃除をして、ゴーヤーと豚肉の炒め物を作っていた。


 そういえばこの人は休みの日に非常に念入りに掃除をすることがある。それを見ながら、僕はいつも「それなら普段から脱ぎ捨てた靴下を洗濯かごに入れるようにしてくれたほうが100倍いいのに」と、まあ、ひどいことを考えるわけだが、今日は「せっかくの休みにこんな念入りに掃除なんてしてる!」と驚いた。別にいつもと同じなのに。


 僕の意見を抜きにして見てみると、普段仕事をしたうえで休みの日に一生懸命掃除をするというのはとってもがんばっている。つまはつまなりにがんばっている……というか、がんばり方というのは人によって多分違うんだなーと思った。差し引き計算で考えると評価できないが、フラットにして目の前の行為のみを見た場合、これは評価に値する。


 僕に何を言われようと、僕に言われていることが例え事実であろうとも、つまの中では第一義に「がんばっている自分」があるわけだから、「私はちゃんとしている」「がんばっている」「それなのに文句を言うのか」と考えるのも納得がいく気がした。つまにとって、生活面で努力することはまず念入りに掃除をすることなのだ。


 これは、「つまが自炊する時はほとんどトマト料理」というのと似ている。「つまが家事をする時はまず念入りにそうじ」というわけだ。自炊をたまにしかしない人が自炊を志す時に「まずカレー」を作ってしまうのと同じように、普段家事をしない/出来ないつまが家事を志す時にまずするのは掃除で、しかもそれが僕には「そこまで念入りにやらんでもいいだろ」と思わせるほどの掃除なのだ。


 自炊にしろ家事にしろ、普段したことのない人にはそれを持続的に成すことの意味はわからないのだ。これは当たり前と言えば当たり前のことだ。そして、かつて「普段したことのない人」であった僕にも、その人にそれがわからないだろうことは、まあ納得できるのだった。


 わかんない人にいくら言ってもわかんないということにようやくあきらめがつきそうな気がする。しかも、わかんない人はわかんない人でがんばらなければいけないという意識はしっかり持っていて、しかし、それを実行に移す時の移し方がまったく実際的でないということにだけは決して気づけない。そのがんばろうという意識を持っていてくれることに感謝しておけばよい。


 ぜいたくを言えば実際的なやり方に気づいて欲しいが、まあ、いいや……。僕は僕で僕の立場では気づけないことがあるのかもしれない。いつか2人の立場が入れ替わった時にこの経験がお互いに役に立つと信じたい。


 ただ、なんか、まあずっと働いていたことしかない男が家事のことなんてまったくわからないというのはこういう話なんだなーとは思うし、この「男」が「女」に入れ替わった所でそれは変わらないということは、これはジェンダーの問題というより、状況的な学習機会の問題なんだなとわかった。