「労働概念再考」に関連して

こないだ思ったことを書き留めておく。


最近、ひとに言われて、研究上の課題として、労働概念再考ということについて、論文を読んだり、考えたりしている。これまで、社長の思い付き的で、従業員に配慮しない自分勝手なふるまいにわれわれは不満を抱えていた。しかし、労働概念のことなどを考えていたら、社長にとっての労働とはなんだろうかと思った。


僕(たち)は、多分、何らかの労働の概念を元に、社長のふるまいを批判しようとしていた。これは、おそらく、ハードな労働概念だったのだと思う。それに対し、社長は社長で、意識的であれ無意識的であれ、前提としている労働概念があるのだと思う。これは、近代的な労働概念とはズレがあり、つまり、ハードな労働概念よりも広く、多くのものを含んで構成されているように思われる*1


カルチュラルハウジング的にも新たな視点の導入であるし、飯場の事例の分析を労働概念の視点で細緻化していく手がかりになりそうだ。そんな気付き。

*1:あー、何か僕は労働概念というものを実体的に論じようとしているなあ、これが「実体的に論じようとしている」というやつなのだなあと思った。分析のために、解釈のためにある概念を実体的なものとして想定する。諸刃の剣というのはこういう話かなあ。違うのか。知らんけど。