いちゃもんのバックグラウンド




今日は朝から雨だった。昨日から降り続く。朝食は余ったパンをウィンナーとレタスでホットドッグにして食べた。


8時に会社に行けばいい。7時45分に家を出る。着いたら8時を5分過ぎていた。雨だと時間がかかるのだろうか。チョイノリのカバーを外したり付けたり、ポンチョをかぶったり脱いだりがロスになるのか。


先にアカサタくんが来ていた。社長とアカサタくんと3人で、主任が来るまで沈黙の時間だった。雨で空気が重くて冷たくて喋ろうという気がしなかった。


軽トラとライトバンで出る。現場は大阪市内の某被差別部落だった。某被差別部落団地の1階で、8時半に着いて作業を開始する。間取りは3LDKか3DKかというところだ 。風呂がないのは不便だがきれいな作りだった。もっとも、風呂がないということから考えて、見た目はきれいでも建物自体は古いのかもしれない。


タンスや仏壇、テーブルなどの家具が残っているだけで処分品は少ない 。親族の人が既に必要なものを持ち出したあとなのだろう。楽な仕事だなと思う。


雨が降っているので段ボール類は自転車置き場の軒先を借りて置く。地面に直に置くと水が染みてきてしまうおそれがあるので抜いたタンスの引出しを積み上げる段ボールの最下段にする。まず、茶箪笥やローボードなど一人で運べるものを2、3個出す。調子が出てきたところでアカサタくんと一緒にタンスを出していく。


タンスを2、3個出したところで近所の人が話しかけてきた。その人は60代か70代かというおばちゃんで、真っ黒に日焼けした顔に眼鏡をかけ、薄紫色のジャージ姿だった。しかし、「話しかけてきた」というよりは「難癖を付けにきた」という感じがした。


たまに変な人はいる。過去にこういうことがあった。線路沿いのマンションから処分品を出しているとき、「引っ越しか」と聞いてきた人がいた。「家財処分です」と答える。しばらく簡単な質問に受け答えしていると「誰の許可受けてこんな仕事しとるんや」というので「市の仕事です」と答える。「市の仕事か?」と何度も聞いてくる。答えても何度も聞いてくるので無視する。すると「市か府か、どっちや!」とキレて怒鳴り始める。そして「警察に電話するぞ!」とか変なことを言い立てる。もの凄い腹が立つ。


まったく一方的で理不尽な申し立てに、「ヒマだから」「構って欲しくて」「寂しいから」こういうことをするんだと納得しようとする。この納得の論理はその場の怒りを抑えるのに都合がいい。しかし、こういう納得の仕方は物事を単純化してごまかしているような気がして僕は居心地が悪い。


おばちゃんは「断りはいれとんのか」と言ってきた。「こんな朝早くから大きな音立てて、向かいには断り入れとるんやろうな」「自治会には話しとるんか」と大声で言う。家具を下ろすときに大きな音がするし、8時半はまあ朝早くと言えるから筋違いの主張というわけではない。しかし、それこそお向かいさんでもなければ非常識にうるさいということはないはずだ。おばちゃんの部屋は2、3部屋離れている。


荷物を置くために自転車置き場の自転車を少し動かした。そのことについても「勝手に動かしたらあかんで。もめ事になるで」と怒鳴られる。


「どこの会社や」と聞くので会社の場所を言うと「ああ、あそこか。わかった」とおばちゃんが納得したように言う。嘘だと思う。つまらないはったりをかまされた。嫌な気分になる。


「どこの仕事や」というので「市の仕事だと思います 」と答えると、「市か。市やからといって朝早くからうるさくしてええいうことないで」と言う。しつこく付きまとわれてうるさくなってきたところでようやく社長が出てくる。「ウクスツさんの紹介です」と社長が言う。ウクスツさんというのは役所の人らしい。「人権なんたら」のウクスツさんと言っていた 。そのウクスツさんを呼ぶということでとりあえず収まるかと思った。


さらにおばちゃんは、作業のために建物脇に停めてあったうちの軽トラの後ろにわざわざ自分の軽トラを持ってきてどけろと迫ってきた。子どもの嫌がらせのようなやり方にうんざりしながら車を動かす。


アカサタくんが「同和の人間特有の被害妄想」と言った。おばちゃんのムチャクチャなやりようには僕も同じように腹が立つ。おばちゃんの悪口は言う。でも、アカサタくんのこの言葉だけは無視した。


おばさんが近所の人に声をかけたらしく、2、3人新たにやってくる。お向かいの奥さんも呼び出して、「あんた、これやること聞いとるか」と確認をとっている。


「仏壇、お寺に引き取ってもらう言うとったで!」とおばちゃんが言う。これまで仏壇を引き取ってもらうなんてことなかったけど、本当にそうなら聞いてないはずはない。おばちゃんがどこまで本当のことを言っているのかそれとも、全部はったりなのかわからない。


「ベランダも片付けるんやろ」とおばちゃんが言う。庭を指して言うので庭のことを言っているのかと思って「そこはやりません」と言うと「なんでや!ベランダやらんかったらおかしいやないか!」と怒鳴られる。そもそも「ベランダも片付けるんやろ」と確認をとる意味が分からなかった。仕事をやめさせたいのかやらせたいのか。


ベランダの手すりに沿って針金で固定されていた網戸を外していると、おばちゃんが「それは○○さんとこのや!返さんといかん」と言う。この部屋の住人が盗んだものだというのだ。「わしも盗られた物干し取っとかんといかん!」と言って物干竿を持っていく人もいた。この部屋の住人が嫌われ者で、それでとばっちりを受けて難癖をつけられているんだろうかと思う。こっちに落ち度があるわけではなく、何かのとばっちりなのだと考えると事実かどうかはともかくほっとする。


しかし、玄関の網戸も「盗まれたもの」と言って回収していくのはさすがに嘘じゃないのか。しっかりしたアルミサッシ付きの網戸で、そう簡単に盗めるような大きさでも重さでもない。あれもこれも盗られたというのは嘘なんじゃないのか。欲しいなら欲しいと言えばいいのに。


ウクスツさんという人が来るころにはほとんどの荷物を出し終えていた。おばちゃんがウクスツさんに苦情を言う。「朝早くから、8時前からしとるんやで」と言う。嘘をつくなよ。もの凄くテンションが下がる。ウクスツさんが説得したのか、しばらく人が引ける。飲み物を買ってきて休憩する。


飲み物を買いに行く時、アカサタくんが「市から金もらっとって文句ばっかり言うなよ」というようなことを言うのを僕は居心地の悪い思いをしながら無視して流す。


休憩していたら40代くらいの女性がやってくる。誰かに言われて仏壇の過去帳を取りにきたのだと言う。「過去帳は無かった」、「見積もりの時に来たときはあったけど、今日は見あたらなかった」と社長が言うので、じゃあ誰かが先に取りにきていて、彼女には情報の行き違いがあったんだなと思う。


その女性はしばらくゴミの山を眺めて思案していたが、そのうち去っていった。


休憩を終えて作業を再開しているとその女性がまたやってきた。過去帳の回収を頼んだという人に誰も回収していないことを確認して「どうしても納得がいかんから来た」と後に聞いた。


主任が仏具関連が入っているという段ボールを開けて、その女性に確認してもらう。社長は自信たっぷりになかったと言っていたし、まさかないだろうと外でエアコンのパイプを剥きながら気にしていた。するとその女性が手に過去帳を持ってやってきて、部屋の中に怒鳴り込んだ。「離れた所に住んどると思ってバカにして」と叫んでいるのが聞こえる。涙まじりの怒声だ。めちゃくちゃ怖い。


僕は呆れた。とうとう「バカ社長」と思った。「(仏具を片付ける上で)大事なものはわかっている」と社長は言っていたから、ちゃんと確認したうえで捨てたのだと思った。もしそうでないなら段ボールを開けて確認してもらうということを最初にするべきだった。社長は面倒くさいから「無かった」と言ったんじゃないかという疑いが僕の中で盛り上がる。


もの凄い剣幕で怒鳴り込まれているのに社長は携帯電話で話すのをやめない。すぐに切ればいいのに10分か15分話し続けていた。あえて待たせて相手のテンションが下がるのを戦略的にはかっているのかとも思う。そうだとしてもあまり尊敬できない。こんな社長のいる会社の社員じゃなくてよかったと思ってしまった。


アカサタくんと2人で外で暗澹とした気分になる。僕は社長の適当さにがっかりしていた。


話はウクスツさんを含めて3人で行なわれたらしい。どれくらいの時間が経ったのかわからない。出てきた女性に「どうもすみません」とアカサタくんと2人で言うと、「あんたらは何も悪くないねん」と落ち着いておばちゃんが言う。市が悪いという話になっている。悪いのはウクスツさんで、作業が8時半に始まることを彼女に伝えていなかったこと、過去帳を取りにくることをこちらに連絡していなかったこととがあったそうだ。それを聞いて彼女は故人の親族で、彼女に過去帳を取りにくるように頼んだというのはウクスツさんだったのだとわかった。


普段から、現金や貯金通帳、賃貸契約書はもちろん古い写真まで念のために残すのだから、過去帳を残さないなんてことは考えられない。とすると社長は本当に気づかずに捨てたのだろうか。だったらこの件は不可抗力か。彼女があんまり素直に納得しているから拍子抜けした。絶対社長もおかしいと思うんだがなあ。


ここで、ひょっとして行政に対する不信感がめちゃくちゃ強いんじゃないかと思った。怒りの落ち着きどころとして行政に向けるとおさまりがよいのだろうか。社長は彼女の剣幕に呑まれずにうまく寄り切ったということか。しかし、すっきりしない。もっとマシな対応があるはずだ。


残りを片付けて資材も引き上げた頃にあのおばちゃんがやってきて、ウクスツさんに文句を言う。今度はどうして電灯を捨てるのかという話だ。湯沸かし器、ガスレンジ、靴箱は残すことになっているが、電灯は捨てることになっているとウクスツさんが説明する。


「電気一個いくらすると思っとるんや」おばちゃんが気にしているのは、誰かが生活保護で入ってきた場合に誰が電灯を用意するのか、ちゃんと保護費から出るのかということらしい。ここでさっきの「行政への不信感」というフレームを当てはめてみるとわかるような気がする。


つまり、普段から行政が彼/彼女らをないがしろにして物事を進めることが多いのではないか。不信感が膨れ上がると、外部の人間が断り無く入ってきて何かを始めるとそれだけで不審に思う。行政への不信感をバックグラウンドにして、僕たちの作業も怪しげな動きとして警戒されたのではないか。


ウクスツさんとおばちゃんのやりとりを遠目に見ながら「自分に都合のいいことばっかり言っとったらあかん」と主任が言う。「市が信用されてないんじゃないの」と僕が言うとアカサタくんが「いや、それでも福祉もらっとるからって何でもかんでも言ったらあかんって」と言う。


僕は野宿者が持つ行政への不信感を想起しながら、おばちゃんたちの行政への不信感から出るクレームが分かる気がした。福祉だ支援と言って親切ぶってやってきたものが、ある日当事者を無視して勝手にことを進める。「バカにしているのか」と腹が立つ。「バカにされてまでそんなものはいらん」と思う。


僕はそのように理解した。しかし、理解に達する前にこの場を離れていたら、「変なおばちゃんがいちゃもんつけてきて腹が立った」そして「だから部落は怖い」とか「福祉もらっとるくせに」になるのかもしれない。「そして」以降は部落差別があるからあるのだ。


ここまで書いていてやっと僕が何をわかりたかったのかわかった気がする。今回のカルチュラルハウジングを飯場日記並に忠実にディテールを追って書こうと思った理由だ。飯場日記形式で書くのはものすごく時間がかかって面倒くさい。しかし、この形式で書かないと僕の言いたいことはわからないと思った。


僕は実は部落差別というのが何なのかよくわかってなかった。部落差別というのは「おばちゃんのいちゃもん」が「だから部落は」に収斂させられるところにある。カテゴリーによって差別が起こる。「だから部落は」という決着は部落というカテゴリーがなければ起こらない。カテゴリーによって差別が起こり、差別によってカテゴリーが強化されるという悪循環をする。


主任が「ここらと生野区は気をつけんといかん」と言っていた。また、前にここで仕事があった時、会長が「今日の所はちょっとうるさく言われるかもしれんぞ」と言っていたことがあった。単純にトラブルの頻度の高い地域のラベルを読み上げているだけなのかもしれない。しかし、「ここらと生野区は気をつけんといかん」という言い方が定番になっていることが既に差別のサイクルであり、差別だ。


「実際やつらは妙ないちゃもんをつけるのだ」と言って、この差別のサイクルが自然に、意識せずに行なわれる。僕は差別というろくでもないものを誰かにさせられているような気になった。「差別する」ことを「させられている」感じがした。


僕は「変なおばちゃんがいちゃもんをつけてきた」と思った。そしてそれが「だから部落は」にスライドしていくのを見た。また、「いちゃもん」が起こるバックグラウンドが見えた。水面下の陰口レベルだったが差別が起こる現場を見た。どういうプロセスで差別が起こるのか。差別が起こるプロセスにおいて差別が差別としてではなく主流社会に肯定的な文脈に回収されるメカニズムを感じた。しかし、僕はそれを「AがBだからC」というふうには説明できなかった。だから飯場日記形式で書かねばならなかった。


僕がわかりたかったのは「どこからが差別なのか」ということだった。しかし、それを他人にわかるように伝えるには飯場日記形式で書かねばならなかった。いや、そうしないと僕は自分自身にとってもわからなかったのだと思う 。


「同和だから」「部落だから」あるいは「ここらは」という話になると僕は息苦しさを感じながら無視した。それを言ってはいけない。しかし、「言ってはいけない」と思うのは既に意識しているということじゃないか。それは差別じゃないのか。じゃあ、どうしたって僕は差別者なのか。誰かの差別発言に「それは差別だ」と言えなければ差別に加担しているのといっしょなのかもしれない。


もうこの一文で終わりにしようと一文、また一文と書き足してしまう。


差別発言に無視で応じるしかなかった居心地の悪さをなんとかしたい。そう思ってこれを書いた。しかし、これでは僕はまた居心地の悪い思いをする。どうしてそれが差別なのかを説くことが難しい。単純に説明しても理解は得られないだろう。しかし、長く説明する時間と関係がないかもしれない。


でも、これを一通り読んでもらえれば僕の居心地の悪さを理解してもらえるかもしれないと期待する。今の僕はこのやり方でしか無視以外の対応をなし得ない。開き直ればここにエスノグラフィーを書く意義もあるかと思う。エスノグラフィーを通してしか伝わらないこと、理解できないことがあるのだ 。