カルチュラルハウジングを思うように書けない理由に思い至った。
一つには、社長や他のメンバーの知らないところでこっそり暴露をしているような引け目だ。しかし、実はそんな引け目は感じていない。引け目を感じるなら書くなよと思う。
本当のところ、僕がこのバイトにいいことばかりではなく、悪いことも感じていることが原因だと思う。
僕がこのバイトを始めるきっかけになったのは、会社の玄関先に展示してあったペットボトルの風車を見つけたことだった。確か、4月の末くらいだったと思う。大学院に入ったもんの、自分はちゃんとやってけるんだろうかと5月病も入りかけで徘徊に近い感じで散歩に出かけた。そろそろバイトを見つけんといかんけど、長期調査に出かけて、その間の1ヶ月、2ヶ月休んでも復帰できるバイトというのはどうやって見つけるんだ。もう面倒くさいから考えたくない、と思っていた。トップページの過去ログを漁ったら詳しい話が出てきた。
***2003年4月3日のトップページより抜粋***
僕の住んでいる辺りに我孫子中央商店街という商店街がある。平野区の美容室でそこの商店街は便利だと聞いていたが訪れないままでいた。今日散歩がてらに寄ってみてその活気に驚いた。一番近くにある長居の商店街の寂れ方と比べてこの活気はどうだろう。近所にこんな楽しいところがあるなんて素晴らしい。
商店街を抜け少し外れた路地へ踏み入れる。右手の野外駐車場のフェンスの上にたくさんのペットボトル製の風車が鮮やかに回っているのを発見する。体感ではそんなに風が強いとは思えないのに風車は実によく回る。
この手のものは以前にも見たことがある。図工の時間に作るのだろう、下校中の小学生が手にしている光景は最近では当たり前になった。僕が小学生の頃にはペットボトルというもの自体まだ一般的ではなかった。
これも近所の小学校で作ったものが展示されているのだろうかと思った。左手に目を転じると何かの事務所らしき建物の前にたくさんの風車が回っている。その形は様々で、ペットボトル製のものから使い捨てコップ製のものまである。そのどれにも鮮やかな着色が施され、カラカラと愉快な音を立てて回っている。これらの風車の作者はこの事務所にいるに違いない。僕は事務所のドアをあけて風車について訪ねた。
風車の作者はその事務所の代表取締役社長というおじさんだった。机の上には作りかけの風車が置いてある。「まあ座りなさい」というおじさんのすすめを受けて僕は小さなパイプ椅子に腰掛けた。
おじさんは風車の作り方を実際に作りながら説明してくれた。僕も材料をいただいて作ってみた。風車は二つのコップを合わせた形でできている。コップに5〜8等分で切り目を入れ、45度くらいの角度で軽く折っていく。できたら二つを合わせ、羽根が重なる部分をホッチキスで止めていく。コップの底に空けた穴に支柱を通して風車の体裁になる。
その支柱に様々な工夫が施されている。まずコップの穴にはストローが通されていて摩擦を減じ、長持ちするようにしてある。ストローの両端には補強のため一回り大きいストローをつけてある。ここまでの作業でもそれなりのソフィスティケーションがあるだろう。しかし、本当に凄い工夫がある。
お風呂の排水溝の栓なんかにについている、丸い玉が連なっている鎖を思い出して欲しい。風車を吊るす針金の先に短く切ったその鎖を取り付けるのだ。そうすると完成した風車は風向きに応じてその向きを変えるようになる。帰り道、いただいた風車を片手に下げて帰ったのだが、これが実によく回る。楽しくて仕方ない。
僕が話を聞いている間にも「表の風車は一ついくらですか」と訪ねてくる人がいた。とにかく人の目をひく。
この会社は廃棄物の処理も請け負っている。おじさんはゴミについていろいろ話してくれた。「ペットボトルも捨ててしまえばただのゴミだがこうして風車になればみんなを楽しませるものとして生まれ変わる」と言う。ここで僕はみなさんに一つ注意を促したい。これを決して「リサイクル」などと呼んで欲しくはないのだ。
おじさんはこの間旅先で知ったという水野政雄という人のことを話してくれた。ネットで調べたところ、遊童館というミュージアムを開いているようだ(http://www.yudokan.com/information.html)。そこで買ったのかどうか知らないがこの人の絵葉書を見せてもらった。これがまた面白いものだった。水野政雄さんという人はいろんなものを楽しいものへと変身させる名人であるようだ。その旅先で貰ったという水野さんが作った落ち葉細工のふくろうを見せてもらった。それもまた楽しい品だった。
「身近にある面白いものを発見していく姿勢をたくさん学んだ」とおじさんは水野さんについて言っていた。「面白いということが大事なんだ」というおじさんの言葉にうなずく。それを人にも面白いと思ってもらえることが楽しい。「今日は君が私のやっていることを認めてくれたんだ」と言っていた。
僕が大学院生でバイトを探しているというとここでバイトをさせてくれるという。仕事の内容は不要品家財一切の処理・処分、引越運搬一式、建築物の営繕工事というもの。夏休みには釜ヶ崎飯場に入ってフィールドワークをしようと僕は考えていてそれに向けて体力のつく仕事をしたいと思っていた。院の勉強や研究会も多く、バイトができる時間帯もあまり自由ではない。いろいろ思い悩んでいた僕にとって願ったり叶ったりのバイトだ。しかもこんな社長さんがいる会社ならぜひ働いてみたい。
面白い人に出会えただけで僕は充分嬉しい。さらにこんなありがたいお話に甘えていいものだろうかと思うところもあるがここは甘えさせていただこう。相変わらず僕はいい出会いに恵まれていると思う。ここから何かを返していければと思う。
***抜粋終わり***
何かやたら感動している。恋してしまっている。仕事の内容は面白いし、社長も会長もいい人だしと僕はもう恋というブラインドがきれいに落ちてしまっていた。
時が経つにつれ、違和感を感じてきた。息苦しさを感じるようになっていた。原因はわからずに自分のせいにしていた。自分の対人能力の問題だと思いこんだ(まあ、それもあろう)。恋をしていたので僕は自分が悪いのだとばかり思っていた。
しかし、最近、別に、僕ばかりが悪いわけではないのだと気づいた。「こんなによくしてもらってるのに僕はどうしてうまくやれないんだろう」とずっと思っていた。
僕はこのバイトの面白さ――いいところだけを見なければならないと思い込んでいた。でも、いいところを書くには悪いところも書かなければしょうがなかった。不平不満だってあるのだ。
だからこれからは不平不満だって書く。不平不満があっても書きたいほど僕は面白いと思っている。不平不満があっても好きだ。